向こう側へ渡る階段

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Leica M9 & Voigtlander NOKTON classic 35mm F1.4 SC



撮影日時 2012年11月30日 16時33分52秒
シャッタースピード 1/90
絞り F2.0
撮影モード 絞り優先AE
露出補正値 ±0.0
感度 ISO400
焦点距離 35.0mm
測光方式 中央部重点平均測光
記録方式 RAW
現像処理 SILKYPIX Developer Studio Pro
WEB最適化処理 Photoshop CS5


錆び付いたステップ踏んで、さあ行こう。
道の向こう側へ。




M9購入したもう一つの理由。
やっぱりね、今の国産デジカメの安さは異常…
この状況はゆくゆくはメーカーにもユーザーにも良い結果をもたらさない。
なので、それらへのアンチテーゼというか、プロテストというか、そんなのもあります。

日本もアメリカもいまだ大量生産大量消費の幻想から逃れられずにいますが、欧州の多くの企業(特にドイツ)はとっくの昔にそれではいずれ立ち行かなくなることを見越していたと思う。
豊かさを得ることが目的化して、何のために豊かになるのかを忘れ、豊かさを維持するために心が貧しくなっていく日本とは大きな違い。

そういえば、シグマがSD1を発売した当初、あまりの高価格に叩かれたりしてましたが、今思えば山木社長もそのあたり何か考えるものがあったのではないかと思う。
写真文化を大切にし、ユーザーの声にどのカメラメーカーよりも耳を傾ける山木社長のこと、そうそうユーザーと乖離した価格設定しないと思うのですが、それがあの価格設定になったのは何か思うものがあったのではないかと思うのです。
あくまで私の想像ですが…
あれ、そういえば、山木社長、会長職になったんでしたっけ?
違ったかな…

いくらデジタル技術の進歩が早いからといって、毎年のようにフルモデルチェンジして毎年のように買い換えて、無駄に資源とエネルギー消費するような経済モデルはやっぱりおかしい。
そもそもその技術の進歩がここまで早い必要があるのか、それは誰のためなのか、今一度立ち止まって考えるべき時に来ていると思う。

かつて、技術の進歩は多くの人の生活を、生き方を変える劇的なものだった。
場合によっては、生命に関わるものも多くあった。

しかし、今、最先端の技術が産み出すものって、その多くが別に無くても生きていけるものばかりなんですよ。
政府の無策により地域交通網が壊滅したことで、地方では車がなければ生活できない状態に陥った。
でも、その車はハイブリッドカーじゃなくたって、20年前のおんぼろ中古車でも走れば充分。
電話にしたって、緊急時の事を考えれば携帯電話のほうがよいだろうけど、別に最新のスマートフォンじゃなくたって事足りる。
豊かであろうとするために、自然を破壊して、雇用を破壊して、地場産業を破壊して、多くの犠牲のもとに磨いた技術なんて、今や私たちの生活にその程度の価値しか産まないのです。

よく、「安くていいものを」なんて言いますが、安いものにはやっぱりどこかに理由があるのです。
カメラで言えば、低価格化したことで昔のカメラに比べて造りは悪くなり、脆弱になりました。
また、その生産の裏では低賃金で使役される労働者がいるんです。
その事を無視して、自分だけいい思いをしていれば、いずれその報いは自分に返ってくる。
いい加減、消費者一人一人がその悪循環を断ち切る努力をしないと、経済を維持するために多くの人が搾取されるような本末転倒な社会になってしまう。(もうすでになりかけてますが…)

かつてホンダの創業者、本田宗一郎氏は「技術ばかりに目を向けて、人に目を向けなければ、人間は原爆みたいなもんを造っちまうんだ」と仰られた。
本田宗一郎氏は世界的にも「技術の人」と思われているかもしれませんが、氏はそんな視点を持った方だった。
技術というものを知り尽くしている方だからこそ、何のために技術があるのかをよく存じ上げていたのだと思う。

この経済の悪循環、技術の悪循環を繰り返してると、突き詰めていけば原発事故にもつながっていくのです。
これを断ち切るには、消費者一人一人が賢くなって、マスコミに踊らされることなく、必要なものを必要な分だけ適正な価格で手に入れる習慣を身につける必要があると思う。

なんか、M9から随分離れた話に発展してしまいましたが…(笑)
カメラ徒然にするつもりがいつの間にか経済徒然になってしまった…( ´△`)アァ-

by ki_ex | 2012-12-01 01:43 | スナップ | Comments(0)