生命のサイクル

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OLYMPUS E-M5 & LEICA DG SUMMILUX 25mm/F1.4 ASPH.



撮影日時 2012年08月07日 18時15分56秒
シャッタースピード 1/500
絞り F2.0
撮影モード 絞り優先AE
露出補正値 -1.3
感度 ISO200
焦点距離 25.0mm(35mm換算50.0mm)
測光方式 多分割評価測光
記録方式 RAW
現像処理 SILKYPIX Developer Studio Pro
WEB最適化処理 Photoshop CS5


多くの生命は他の生命を奪わないければ生きてはいけない。
それは自然の摂理。
生命のサイクル。




「いくら使命感があるとはいえ、生命の危険を侵してまで戦争を取材する必要があるのか。」
「そんなことしたって戦争はなくならない。」
確かにそのとおりだと思います。
生命を懸けて取材すれば戦争がなくなるのであれば、とっくの昔に世界中から戦争はなくなっている。

しかし、もし、だれもその戦争を伝える人がいなかったらどうなるかを想像して欲しい。
今の世界情勢は、世界世論とでも言うべき監視の目によってかろうじて保たれている。
もし、これがなかったら、中国はもっと酷い民族弾圧をしたことだろう。
日本の領土だって、尖閣、竹島どころの話ではない。
実際、ルワンダでは、監視の目が及ばなかったために、多くの生命が目を覆いたくなるような凄惨な殺戮の犠牲となりました。
アフリカ大陸ではこのような国々が今も多く存在します。

危険を侵して、極力中立な立場から戦争を伝えようとする戦場ジャーナリストは、そのような非道な行為に歯止めをかける世界世論を形成するための、重要な目の役割を果たしているのです。

戦争がある限り誰かがそれをやらなければならない。
それはとても理不尽であるとは思います。
しかし、だからこそ、彼らが伝える戦争という現実に目を背けてはいけない。
世界中から戦争がなくなるまで、私達は監視の目を緩めてはいけないのだと思います。

最後に、竹島やら尖閣やらの問題でどこか日本全体が右傾化しているように感じます。
中には公然と戦争を肯定し、報復措置を叫ぶものもいます。

特定の民族、国籍に属するという理由だけで、その人達を蔑むような心そのものが戦争の種であり、戦争を肯定する人達もその種が成長したものであると思います。
戦争はどこかの誰かが気まぐれで勝手に始められるものではありません。
私達一人ひとりの心に根付いた悪しき心が、いずれ大きな流れとなり、戦争へ発展していくのです。

はっきり言います。
私はどのような理由であれ、戦争を肯定する者を心底軽蔑します。
そして、戦争の愚かしさに気づき、自らの心を改めた人を心底尊敬します。

by ki_ex | 2012-08-23 02:23 | 昆虫 | Comments(0)